日本財団 図書館


 

阪神・淡路大震災の回顧と教訓

 

糟 谷 日出男
(神戸市垂水区)

 

101-1.gif

 

夜明け前の、静かで美しい神戸の街を「直下型大地震」が襲い、20秒の地震は多くの人々の運命を変え街を崩壊させました。
平成7年1月17日午前5時46分、マグニチュード7.2 、震度7の激震でした。
光陰矢の如しとか、発生以来一年半が過ぎ、平成8年7月17日の新聞報道によりますと、震災死者 6,372人。多くの不帰の方々のご冥福を心からお祈り致します。また神戸市内を中心とした仮設住宅では約42,500世帯の方々が不自由な生活を続けておられます。被災者の多くの方は安定した生活が難しい様です。
ところで、私事ですが、激震発生時の状況を参考に報告します。私は神戸市垂水区の駅前再開発で4年前に完成した「レバンテ垂水3号館13階」(14階建て)に住んでいます。ベランダから世界一の明石海峡大橋が眼前に見えます。
地震発生の朝、午前5時に目が覚めベッドの上で原稿を書いていましたが、突然大音響とともに、ドスンと上下に激しく約10秒揺れ、今度は前後左右に約10秒大きく揺れました。 「やられた」と思い一瞬死を覚悟しましたが、助かりました。しかし部屋の中はオモチャ箱をひっくり返した様な状態で、ほとんどが壊れてしまいました。報道により、震源地は淡路島側の明石海峡大橋の橋脚の東側、地下20kmで橋脚は4m西にずれ、橋の全長が1.1 m伸びましたが無事でした。明石海峡大橋は、平成10年(1998年)に完成の予定です。地震 は、北に走らないで海岸沿いに須磨から神戸方面に走りました。万一、北に走れば私の目の前から垂水地区は全壊していたでしょう。
大震災発生と同時に貝原兵庫県知事、笹山神戸市長を核として、地震対策本部が設置され、県・市一体となり、被災者の救護、被災地の復興に不眠不休の努力を尽くしておられる姿を拝見し、感謝の心で胸が一杯になりました。また発生と同時に全国から救援に駆けつけて下さった自衛隊・警察・消防隊の皆様の必死のご活躍を目の前に見て感激しました。 そして特筆すべきことは、ボランティア活動の方々が全国から延べ百万人を超え、救援活動が続けられました。特に青少年の活動には心温まり感激ひとしおでした。
私も地震対策には色々相談を受けましたが、東京墨田区の「天水尊」で神戸の水の問題に取り組んできました。また総務庁の行政相談委員、社会福祉の心配ごと相談委員として、色々相談を戴きました。死亡診断書・土地・仮設住宅・健康・生活資金・交通・防犯等街角や生活の問題が多くありました。
また、兵庫行政監察事務所も多忙で、田中行政監察局長をお迎えして灘で相談所が開設され私も出席しました。
私は一住民として大震災により得た教訓は、“自主防犯・自主防災”で「自分の生命は自分で守ろう」とみんなに呼びかけをしています。“自分の住んでいる街は自分達で作るのだ”心と心の暖かい触れ合いが深まりました。
そして「向こう三軒両隣」地域社会みんなで明るく住みよい社会創りに努力しましょう。
“がんばろう神戸の復興をめざして

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION